我が家に三人住んでいる

 

 


       起.

  どんたん騒ぐ胸を押さえつけて、通学路をひた走る。
  あまりに慌てていたのだろう。家を出るときに閉じ損ねたランドセルがガチャガチャ鳴るのがやかましい。それでも、そんなことに構っている暇などなかった。一分一秒でも早く、このことをカナちゃんに伝えてあげたかった。
  ああ、でも、こんな途方もない話を、いったいどう話したら信じてもらえるのだろうか。
  賢いカナちゃんのことだ。
 
「嘘よ。そんなの嘘に決まってるわ」

  ぷりぷり怒ったように、そう言うに決まっている。
  どういったら信じてもらえるだろうか。

  我が家に忍者が住んでいただなんて。


 

 

       ◆      ◆      ◆



  我が家は、木造二階の一戸建て。カナちゃんに言わせれば「ヤスブシンの典型例」らしい。
  そう称したのは、カナちゃんが我が家に初めて遊びにきた日のことだった。

 「まぁ、素敵ね、洋風の家って! 無駄を省いて小さくまとまって。機能美ってこういうことを言うのよね。それに、この家、たったの一週間で出来たって言ってたけど、想像もつかないわ! あたしの家が建ったときなんか、たっぷり一ヶ月もかかったのよ」
 「わたし、知ってるわ。こういうのをヤスブシンって言うのよね。パパが言っていたわ。現代の建築技術ヤスブシンはすごいなぁ、たったの一週間で家が建ってしまようよ、って。わたしは、まさかそんなことあるはずない、ってずっと思っていたけど、やっぱり今でも信じられないわ。この家がたったの一週間で建ってしまっただなんて!」

  そう言ってはしゃぐカナちゃんの家は、天を衝くように逆立つ瓦の、それはそれは立派な和風建築だった。だからこそ、洋風の我が家がもの珍しかったのだろう。きゃあきゃあ喜色ばむカナちゃんに、「そう、ありがとう」とにっこり答えるママの笑顔がやけに印象的だった。

  それ以来、何故かママは家に友達を連れてくることも、お客さんを上げることすらひどく嫌がるようになったので、家に上がるのはすっかりぼくとママの二人だけになっていた。
  もっとも、こうなる前からも、家に上がっていくようなお客さんは稀だった。
  家にやってくる人といえば、セールスマンだったり、回覧板を持ってくる隣のオバサンだったりで、そういう人をママが家に上げることはごくごく稀だった。かっちりスーツに身を固めたママに「すいませんけど、これから仕事なんです」と玄関先であしらわれると、さすがに皆諦めて帰っていくのだ。
  唯一の例外はお隣のオバサンで――いかにも家に上がりたそうに、玄関先からちらちら廊下の奥をのぞきこみながら、世間話で長居するオバンサンで、このひとがママの仕事のない休みの日をねらってやって来たとき――そのときだけは、ママも観念して、しぶしぶキャクマという「お客さんを迎えるための特別な部屋」に通していたのだ。
  その稀なお客すらも追い返すようになると、我が家はしんじつぼくとママ二人だけのものとなった。

  と同時に、すっかり使われることのなくなったキャクマは、物置へと変貌していった。
  まず、読まなくなった本やらマンガやらを、これまた使われなくなった古い棚だのタンスだのに詰め込んで、そのままドスンと転がす。そこに、使われなくなった健康器具やら、日用雑貨やらが加わって、みるみるうちにキャクマを占領していった。そうして、かろうじてキャクマの面影を残しているのは、ところどころにのぞく青い畳と、奥の壁の、掛け軸ひとつだけという有様になってしまった。
  このころには、キャクマはもうすっかり、ぼくとって特別な場所になっていた。
  がらくたの山はちょっとしたアスレチックだったし、なにより、そこには畳と掛け軸があった。ちょうどカナちゃんが洋風のわが家を珍しがったように、ぼくは和風の家に憧れていたのだ。畳のあるこの部屋は、わが家の他のどことも変わっていて、それだけで十二分に魅力的なのに、なんと、掛軸まであるのだ。そこには、もの珍しい不思議のにおいが、箒星の尻尾のようにぼうっと、絶えずつきまとった。

  忍者さんは、その掛け軸から現れたのだ。

 



       ◆      ◆      ◆

 


  その日も、ぼくは掛け軸の前に腰掛けて、ぼんやり掛け軸を眺めていた。

  都合のよいことに、掛け軸のまわりはいつも片付いてる。
  部屋じゅう足の踏み場もないくらいなのに、そこだけ、ぽっかりと、がらくたを寄せつけない空白地帯となっているのだ。ちょうどそれは、ぼくのような小さな子どもがちょこんと腰掛けるのに、もってこいのスペースだ。そこに座って、一時間でも一日でもいつまでも、気の済むまで掛軸を眺めるのだ。
  その掛け軸には、雲に立つ仙人図が描かれている。それはやがて、空想のなかで動き出す。黄ばんだ雲が絵の中を自在に駆け巡り、それに乗った怪老が、長いひげをなびかせながらふぉっふぉっと怪しく笑う――そんな夢想を楽しむのだ。
  それは、子どもの他愛のない妄想で、じっさいには、目に映る掛け軸はぴくりとも動かない。ほこり臭い物置の奥で、しんとしずまり返っている。

 だが、その日は違った。

 「えっ」

  ひらり、と。
  ひとりでに掛軸が動いたのだ。まるで風に吹かれたように、ひらりと、ひとりでに波打った。

 「ひとりでに掛け軸が動いた!? いったい、何がどうなって――」

  それは不思議な現象だった。窓はかたく閉じられていて、室内はまったくの無風なのだ。
  かと思うと今度は、ひとりでにすーっと、掛け軸の縁が持ちあがって、そこから、

 にゅっ

  と男の首が現れた!

 「う、うわぁっ! 壁から、く、首が生えてきたっ!!」

  掛軸の下の壁から、男のおじさんの顔がひょっこり生えている。
  いや、そうではない。よくよく見ると、本来壁であるべき部分は、まるで扉かなにかのように、ぐっとこちらにせり出してきていて、ぽっかり大きな口を開けている。そこから、さらに奥へと続く薄暗い階段が見えた。
  扉のように開いた壁――というより、それは、しんじつ扉そのものだった。掛け軸の下に、人目につかぬよう、巧妙に隠されてしまっている隠し扉なのだった。扉は見たこともないくらい分厚い金属でできていて、そこには丸い、車のハンドルのようなドアノブ取っ手がついている。
  大きな口、と言ってもそれは掛け軸より更に一回り小さい。おじさんは身をよじるようにして、窮屈そうに、そこから潜り抜け出てこようとしている。
  それを凝視していたぼくと、不意に顔を上げたおじさんと、視線がぶつかった。

 「…………」

  ふたりの間に沈黙がたちこめた。おじさんはすっかり言葉を失ってしまって――というより、おじさんもぼくも、あまりの事態にすっかり我を忘れて、凍り付いてしまっていた。
  おじさんは、壁から首を生やした体勢のまま――出るとも引っ込むともつかない、中途半端な体勢のまま、目を白黒させている。ぼくはといえば、驚きをのどにひっかけて、呼吸もままならずに、っ、ひっ、ああっ――と喘いでいる。
  そうこうしている間に、おじさんはすっかり我に帰ったと見えて、するりと壁を抜け出すと、みしみし畳を渡ってぼくの前までやってきた。すると、その全容が明らかになる。上下ジャージに身を包んだ中年男。無精ひげだらけの顔。大きく見開かれた瞳が、氷のような冷たさを帯びて、ぎょうとぼくを見下ろしていた。
  それは、しかし、ふっと溶けて消え、こんどは代わりに、にんまりといわんばかりの笑顔が現れた。

 「いやぁ、とうとう見つかってしまったね」

  その男のおじさんは、にっこり微笑みながら、まるでイギリス紳士がそうするかのように、優雅に一礼をしてみせた。

 「こんにちは。そして、はじめまして」

  ようやく驚きを飲み下したぼくの喉に、興奮と疑問が洪水のようにせり上がってきた。

 「おじさんは何者なの、どうしてぼくんち家の壁から出てきたの!?」

 「知ってるかな? おじさんは、こういう者なんだよ」

  おじさんは両の手を眼前に突き出すと、指を組んで合わせてみせた。かと思うと、それはまるで別の生き物のように動き、くねり、互いに絡み合い、次々と複雑な形を編み上げていった。

 「リン、ピョウ、トウ、シャ、カイ、ジン、レツ、ザイ、ゼン」

  ぶつぶつと呪文を唱える姿を見て、ぼくはあるテレビ番組を思い出していた。

 「ニンジャマンだ!」

  隠密戦隊ニンジャマン。それは、今学校で話題の特撮だ。五人の忍びの末裔が、目もあやな五色のニンジャマンに変身して、アクダイ・カーンの魔の手から京都の街を守る為に戦うのだ。
  おじさんの仕草は、その変身シーンの再現だった。

 「おじさんは、ひょっとして、あのニンジャマンだって言うつもりなの? それはおかしいよ。ぼく、知ってるんだよ。ニンジャマンなんていない、アレは大人の作り話だって」

  ぼくはもう何も知らない、小さな子どもではないのだ。ニンジャマンのような特撮は、液晶版の向こうの絵空事だとちゃんと知っている。

 「そうかぁ。君は、おじさんが思っていたより、もうずっと大人になってんだなぁ」

 「ごまかさないでよ! どうして、ニンジャマンだなんて嘘をつくの。そうやってぼくを騙して、一体なにを企んでるの!」

 「あ、いや、勘違いしないでおくれ。おじさんはニンジャマンだ、なんて名乗ってないだろう?」

 「じゃあ、一体なんなのさ。おじさんは何者なの。どうして、家の壁から出てきたの。どうして、ニンジャマンみたいな、紛らわしいポースを取ったの」

 「それは……」

  おじさんは、じっと考え込むように顔を伏せる。次に顔を上げたとき、その目はまっすぐ、ぼくを見据えていた。
 
「じゃあ、本当のことを教えてあげよう。おじさんはね、忍者なんだ」

 「ニンジャ?」

 「ニンジャマンは作り話だと言ったよね。そのとおり。アレは、忍者を基にして創ったお話なんだよ。つまり、やつらは忍者のニセモノさ。けれども、おじさんは、偽者なんかじゃない、本物の忍者なんだ」

  おじさんは、畳み込むように喋り倒した。

 「忍者はね、天井だの床下だの壁だの、誰にも見つからないようなところに、こっそり住むものなんだ。そうやって、こっそりと、家の人を見守る。そういう仕事なんだよ」

 「……だから、ぼくん家の壁の中に居たの?」

 「ああ。それが仕事だからね」

 「でも、見つかっちゃったね」

  ぼくは負けじと、おじさんの嘘をあばきにかかる。しんじつニンジャであるのなら、ぼくごとき素人に簡単に見つかるはずがないのだと、反撃する。

 「ああ、おじさんも驚きだよ」

  おじさんの返答は、しかし、ぼくの反撃も疑いも、何もかも吹き飛ばしてしまうような、驚くべきものだった。

 「こうして見つかってしまったから言うけどね、おじさんは、たっぷり十年間も、キミが生まれたときからずっと、この壁の中に住んでいたんだよ」

 「ええっ、嘘でしょ!」

 「嘘なもんか。だったら、証拠を見せてあげよう」

 「例えば、そうだね、今日の朝食は、珍しく洋食だったね。パンとヨーグルトとコーヒー牛乳だ。パンの耳が嫌いなキミは、そこだけ剥いで食べた。昨日の晩御飯はカレードリアだったね。そして、一昨日の晩御飯はカレーだ。はは、カレーがカレードリアに化けたわけだ! まるで忍術だね」

 そんな調子でつらつらと、一週間分の朝夕の献立を言い当ててみせた。昼食に言及しなかったのは、ぼくが学校で給食を食べているからだ。終日壁の中にいるので、家の外のことは分からないのだと言った。

 「そうそう。キミはどうも、好き嫌いが多いみたいだね。キミの将来の為に言っておくけどね、好き嫌いはよくないよ。キミのママも、それこそ耳にタコから出来るくらい言って聞かせてるだろう?」

 「どうして、そんなことまで……」

  ぼくは、呻くように言った。このおじさんは本当に、おはようからおやすみまで、ぼくとママの生活を見つめているのだ。

 「言っただろう。おじさんはね、忍者なんだよ」

 

 

 

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